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山縣亮太さんは、陸上の短距離走の選手で、2021年に開催される東京オリンピックでは100メートル走の選手に内定し、また日本代表の主将にも選出されました。
そんな山縣亮太さんのご実家はスポーツ店を経営していて、山縣亮太さんは高校まで実家のある広島で暮らし、大学進学を機にご実家から出ています。
そんな山縣亮太さんの出身高校と大学に興味を知りたい人も多いのではないでしょうか?
また、山縣亮太さんの強さの秘訣とも言えるコーチについても興味がある人も多いと思います。
山縣亮太さんは高校は修道高等学校を卒業して、慶應義塾大学総合政策学部を卒業しました。
また、山縣亮太さんのコーチは高野大樹さんです。
そこで今回は「山縣亮太の実家はスポーツ店?出身高校大学やコーチについても!」と題してご紹介したいと思います。
山縣亮太さんの実家は「スポーツのニシヒロ」というスポーツ店です。
山縣亮太さんの実家であるスポーツ店「スポーツのニシヒロ」は学校で使う用品を取り扱ったり、サッカーなどの球技で使う用品を広く扱っているスポーツ店です。
また、地元のチームであるサンフレッチェ広島が主要取引先となっていて、同チームの株主であります。
代表取締役は山縣亮太さんのお父さんである、山縣浩一さんです。
山縣亮太さんの家族についての記事はこちらです。
山縣亮太さんが陸上に熱中して取り組むことができる背景には、実家がスポーツ用品店であることも大きいのかもしれないですね!
そして、スポーツ店を挙げて山縣亮太さんを応援している様子をTwitterにも投稿していました。
山縣亮太さんの出身高校は、広島県にある修道高等学校です。
中高一貫校なので高校からの入学は少数らしいのですが、かなりの難関校ですね!
山縣亮太さんも高校へは、修道中学から内部進学しています。
山縣亮太さんは出身高校である修道での学生生活において、自由度が高く自分で考え判断するということを学んだと語っていました。
修道という学校は何事にも自由度が高いので、必然的に自分で考え判断し、行動するようになり、自由には責任を伴うということを学びました。責任あるところに本当の仲間あり。修道は本当の仲間を作れる場所だと思います。
『自由だからこそ、自分で考えて責任を持つ』ということを中学・高校時代で理解することは、意外と難しいと思います。
それを高校時代までに身につけた山縣亮太さんは、やはり文武両道なのだなぁと思いました。
山縣亮太さんの出身大学は慶應義塾大学の総合政策学部です。
山縣亮太さんの出身大学である慶應義塾大学は、東京都の三田キャンパスと神奈川県の日吉キャンパスと湘南藤沢キャンパスに分かれていて、学部や学年によって通学する校舎が異なります。
山縣亮太さんは総合政策学部ということで4年間とも湘南藤沢キャンパスだったそうです。
山縣亮太さんの出身大学である慶應義塾大学は言わずと知れた名門校です。
1858年に福澤諭吉が創立した蘭学塾が起源となり、1920年に日本初の私立大学となりました。
ちなみに偏差値は
山縣亮太さんはAO入試で受験して、慶應義塾大学に合格しました。
慶應義塾大学を選択した理由を山縣亮太さんは、自由に勝利を目指せるからと大学のインタビューで語っていました。
– 慶應義塾大学を選ばれたのはなぜですか?
山縣:大学進学が迫ってくるにつれ、「自分はどのように大学で競技に取り組みたいのだろう」と本気で考えるようになりました。その結果、私は自由にのびのびと勝利を目指せる大学ではないとダメで、そうした自由があるのは慶應義塾だけだとわかりました。そこから一気にスイッチが入って慶應義塾一本に絞って、AO入試に臨みました。Webの合格発表で合格がわかったときは自分の部屋のパソコンの前で思いっきりガッツポーズをしたことを覚えています(笑)。
引用元:慶應義塾大学公式サイト
慶應義塾大学は数々の有名アスリートを輩出していて、大学で学びながらスポーツにも集中するという環境が整っています。
そのことから、山縣亮太さんは慶應義塾大学を志望したのではないかと思われます。
山縣亮太さんのコーチは、高野大樹さんです。
引用元:時事ドットコムニュース
山縣亮太さんのコーチである高野大樹さんは1989年生まれです。
高野コーチは、山縣亮太さん以外にも寺田明日香さんなどパラスポーツの選手のコーチも手がけています。
山縣亮太さんはずっとコーチなどをつけずにやってきましたが、怪我や病気などで成績不振があり、2021年2月から高野大樹さんにコーチを依頼しました。
2019年以降、度重なる故障で低迷した山県を復活に導いた大きな存在の一つが、母校の慶大で短距離を指導する高野大樹コーチ(32)だ。山県はこれまで指導者には頼らずに走りを追求してきたが、「殻を破って変えなければ」と今年2月に初めてコーチを依頼。山県が自身で考えるスタイルは変えず、高野さんは見守って助言を送る。
引用元:時事ドットコムニュース
コーチの依頼を受けた高野大樹さんは驚いたそうです。
そして、依頼を受ける条件として「山縣亮太さんの要望に応えることができなかったらすぐに切って欲しい」と伝えたとのことです。
山県からの依頼を「僕でいいのか」と驚きながらも快諾した。代わりに条件を提示。「山県のオーダーに応えられなければ、私を切ってくれ。同じ方向に進めるコーチを探す手伝いもするから」。山県を「日本陸上界の宝」と尊敬するからこその言葉だった。
引用元:時事ドットコムニュース
高野コーチは、足に怪我を抱えている山縣亮太さんのコンディションも考えながら、山縣亮太さんの言葉や要望することを大切にして、コーチングをしているそうです。
高野コーチは、山縣亮太さんの言葉と思いを大切にしながらコーチをしたことで、2021年に山縣亮太さんが出した日本最速記録に繋がったと言っても過言ではないでしょう!
今回は「山縣亮太の実家はスポーツ店?出身高校大学やコーチについても!」と題してご紹介しました。
山縣亮太さんの実家は「スポーツのニシヒロ」というスポーツ店で、山縣亮太さんのお父さんが代表取締役社長ということがわかりました。
山縣亮太さんの出身高校は修道高等学校で、出身大学は慶應義塾大学で総合政策学部を卒業していました。
また、山縣亮太さんのコーチは高野大樹さんで、ずっとコーチをつけてこなかった山縣亮太さんが初めて依頼したことがわかりました。
高野コーチと山縣亮太さんはお互いに強い信頼関係で目標に向かっていました。
新型コロナ禍のため、中々見通しが立たなかった東京オリンピックの代表になり主将にもなった山縣亮太さん。
素晴らしい実績の背景には、実家がスポーツ店で小さい頃からスポーツが身近だったこと、出身高校大学で恵まれた環境にいたこと、素晴らしいコーチとの出会いがあったことが大きいでしょう。
これからも山縣亮太さんが世界で大活躍ができることを期待したいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。