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古賀紗理那さんは、女子バレーボールの日本代表として活躍してきた選手です。
また、古賀紗理那さんはVリーグのNECレッドロケッツのエースで注目を集めてきました。
そんな古賀紗理那さんの父親母親や兄弟姉妹がどんな人で、家族構成が気になる人も多いと思います。
そして、バレー選手は家族にもバレー経験者がいることが多いですが、古賀紗理那さんも家族にバレー選手がいたのでしょうか?
そこで今回は「古賀紗理那の父親母親や兄弟姉はバレー選手?家族構成を徹底調査!」と題してご紹介したいと思います。
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古賀紗理那さんの家族構成は、父親と母親の他に姉が1人います。
古賀紗理那さんは、6歳の時に父親の仕事の関係でそれまで住んでいた佐賀から熊本へ引っ越していました。
次世代のエース候補は父の転勤で、生まれ故郷の佐賀から熊本に6歳で移り住み、小2からバレーを始めた。
引用元:サンスポ
古賀紗理那さんは、高校は熊本県のバレーの強豪校に進学しています。
もし、熊本への引っ越しがなかったら古賀紗理那さんのバレー人生はまた変わっていたのかもしれませんね!
古賀紗理那さんの父親は古賀裕正さんといいます。
引用元:サンスポ
古賀紗理那さんの父親である古賀裕正さんはバレーボールの経験がないので、バレー選手ではなかった様です。
成長を続ける中で壁にぶち当たったときは、裕正さんが支えた。「自分はバレーを知らないのに、声の出し方とか、力の入れ具合を聞いてくる。それだけ、そのときは追い詰められていたんでしょうね。それでも聞いて、なにかしらヒントがないか探す。そういうことだったんだと思います」と懐かしむ。
引用元:サンスポ
古賀紗理那さんは、父親がバレーボールをしてきた経験がなかったにも関わらず、それでも父親にアドバイスを求めていました。
その理由は、古賀紗理那さんが父親のことを信頼していたということがあるのかもしれませんね!
また、古賀紗理那さんの父親である古賀裕正さんは、母親とともに子育てに関してモットーを掲げていたそうです。
古賀家の子育てのモットーは「人のせいにしないこと」。もちろん、競技を超えた教えだが、強い責任感はここぞの場面で生きる気持ちの強さの礎になる。
引用元:サンスポ
人のせいにしないで、自分で責任を持つことは、古賀紗理那さんがバレーボールの選手でいる上において大きなメリットになっているのかもしれませんね!
またネットの噂では、古賀紗理那さんの父親が元野球選手だったという話もありましたが、事実だと確証できる情報はありませんでした。
古賀紗理那さんの母親は、古賀博枝さんといいます。
古賀博枝さんの画像は、前述した父親とのツーショット画像以外にはありませんでした。
古賀紗理那さんの母親である古賀博枝さんはバレー選手だった様です。
中学、高校時代に競技経験のある母・博枝さんの「女の子が生まれたらバレーをさせたかった」という思いで、姉の麗那とともに幼いころからママさんバレーに連れて行かれた。母の目には、古賀は競技開始時からダッシュやパスのフォームがさまになり、才能の片鱗(へんりん)を感じさせていた。
引用元:サンスポ
古賀紗理那さんは、母親の夢を引き継いで叶えていった存在なのかもしれませんね!
古賀紗理那さんの母親である古賀博枝さんは、バレーを知っているからこそ娘の古賀紗理那さんに対して的を得た発言もあったみたいです。
ネーションズリーグ後、短い休暇で熊本の実家に帰省した。バレーボールを頭から外して、リラックスした時間を過ごす中、母の何気ない一言が胸に刺さった。
「紗理那、前のほうがよかったよね。高校生の時のほうが力が乗っていて、もっとスパイクがカッコよかったよ」
アドバイスではなく、ふとした日常会話ではあったが、一番自分を知る母がそんな風に見ていたのかと思うと、何が以前と違うのか、少し立ち止まって考えるようになった。
引用元:Number Web
ふとした会話だということですが、もしかしたら母親である古賀博枝さんは何か思うことがあっての一言だったのかもしれません。
また、よくスポーツ選手の母親はスパルタだったり熱心な人が多いケースがありますが、古賀紗理那さんの場合はそうではなかったみたいです。
古賀紗理那さんは、小学時代に強豪チームに所属しましたが、それも両親が勧めたわけではなく古賀紗理那さんが自分で決めたということでした。
両親が薦めたわけではなかった。博枝さんは「(大津ジュニアが)厳しいとかは全然知らなくて、あんなに上手になりたい、みたいな感じでした」と振り返る。厳しい環境の中で汗を流し、小3の11月の大会に出場するころには、小6の選手たちに混じって早くもレシーバーを務めた。自らの意思で選んだ新しいチームでぐんぐん成長。小2で下した決断に口を挟まず見守ることで古賀の中で芽生えていた「うまくなりたい」と願う才能が花開いた。
引用元:サンスポ
古賀紗理那さんは、小学生の頃から両親に言われるわけでもなく、自分で進む道を探してきました。
そこには、父親と母親が子育てのモットーとしていた「人のせいにしないこと」という一言も大きかったのではないでしょうか?
古賀紗理那さんの姉は、古賀麗那さんといいます。
古賀紗理那さんの姉である古賀麗那さんは、2歳年上で古賀紗理那さんと同じくバレー選手でした。
そして、高校は姉妹で揃って春高バレーの常連校である熊本信愛女学院高校で、1年間同じ部でプレーしていました。
姉妹で春高バレーに出場できたことは古賀紗理那さんも古賀麗那さんにとってもうれしかったことでしょうね!
また古賀麗那さんは、高校を卒業した後は佐賀大学に進学して、バレーボールを続けていたことがTwitterの投稿で判明しました。
古賀麗那さんは大学を卒業していると思われますが、その後バレーボールを続けているかどうかについては情報がありませんでした。
いずれにしても古賀紗理那さんと姉の古賀麗那さんは2人ともバレーボールで優れた選手であることがわかりますね!
また、古賀紗理那さんが高校を決めたきっかけは姉である古賀麗那さんが後押しをしたことがあった様です。
中学の3年間で身長は1メートル80に伸びた。高校進学の時期には金の卵のもとへ県内外から7校以上のオファーが届いたが、すでに熊本信愛女学院高バレー部に所属していた2つ上の姉・麗那さんの後押しもあり、同校に進学した。
引用元:サンスポ
姉妹仲が良くなかったら、妹と同じ高校に行きたいとは思わないと思うので、きっと姉妹仲は良いのでしょうね。
今回は「古賀紗理那の父親母親や兄弟姉はバレー選手?家族構成を徹底調査!」と題してご紹介しました。
古賀紗理那さんの家庭構成は以下の通りです。
父親以外はバレー選手でした。
古賀紗理那さんは、バレーボールのことを相談できる家族の支えと自身の努力によって、世界で戦える選手となりました。
これからの活躍も期待したいですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。